公開: 2020年3月19日
更新: 2020年3月19日
満州事変から第2次世界大戦の終了まで、日本を支配した政治勢力は、天皇制を守ることを最も重要なこととして、国民に、「忠君、愛国」を訴えました。「忠君」とは、天皇に対して忠誠を尽くすことです。また、「愛国」とは、日本の国家を愛し、国のためには自分の命をも捧げる覚悟を持つことです。第2次世界大戦の末期に、ゼロ戦に乗り、米国海軍の船などに体当たりを行おうとした「特攻隊員」は、このような愛国と忠君の精神にそって行動し、自らの命を日本軍のために捧げたのです。彼らは、子供の時から、それが国民としての義務であると教えられていたため、それ以外の方法で、国家に奉仕できることを知らなかったと言えます。とは言え、日本軍の指導者の中には、日本が米国との戦争に勝てる見込みはないとして、将来の日本の発展には、優秀な人材が必要になることを確信し、「特攻」に反対していた人々もいたことは事実です。海軍兵学校の教員にも、「諸君は、将来、必ず日本再興のために必要になる。だから、今は、諸君の死ぬ時ではない。」と述べた海軍将校がいたそうです。その教えを受けた生徒の中にも、原爆投下で命を落とした人もいました。